私には、3ヶ月に一度ほど髪の毛の限界が来た頃に通っている行きつけの美容室がある。
しかし、そこの美容室にはある一つの問題があった。
「B’zの稲葉を知らない美容師」がいることだ。
ある日美容室に行くことにしたとき、その当時憧れていた稲葉の、長髪でパーマをかけていた頃の写真を持って行くことにした。髪型にこだわりはなかったが、大学生でモテたい欲求が肥大していた。
美容室で軽い雑談を挟んだ後、
「今日はどうしますか」
と言われたので、少し緊張しながら
「こんな髪型にしてみたいんですけど・・・」
と稲葉の写真を出した。すると美容師はふむふむといった様子でしばらく写真を眺めた後、言った。
「うーん、君は太くて硬いタイプの髪質だからなあ。パーマかけてもこんな風にはならないと思うよ。この人は細くて柔らかいタイプでしょ?このモデルさんが誰かは知らないけど。」
このモデルさんが誰かは知らないけど
このモデルさんが誰かは知らないけど
このモデルさんが誰かは知らないけど!!!!
衝撃だった。
B’zの稲葉を知らない美容師がいるのか。
私は世の中には3種類の人間しかいないと思っていた。B’zを知っている一般人と、B’zを知らない一般人、そしてB’zを知っている美容師だ。
それなのに、私はこれからB’zを知らない美容師に髪を切られる。この事実は私を恐怖させた。B’zの稲葉のカッコよさをこの人は知らない。私はかっこよくなりたくて写真を見せたが、この人はB’zの稲葉を知らない。生まれてから一度もB’zの稲葉のカッコよさに触れていない人に、この人のカッコよさ基準で髪を切られる。B’zを知らない人間にカッコよさが分かるのか。怖くなって視線を前にやると鏡越しの自分と目が合った。その背後では美容師が真剣に髪を眺め髪型を考えている。私はB’zを通して鏡の中の私を見ている。だが、この美容師はB’zを通さず鏡の私を見ている。私と彼が見ている鏡の中の私は本当に同一人物だろうか。私は大いに不安であった。
本当にB’zを知らないのだろうか。
いや、B’zを知らないのではない。B’zの稲葉を知らないだけなのではないか。そう、つまりB’zの曲は知っているしカラオケでも歌う。ただB’zの稲葉がどんな顔をしてるかはちょっと分からない、こういうことだ。
そんな奴はいない。
そこからの記憶はない。家に帰るとB’zを知っている母親が言った。
「いい感じじゃん」
B’zを知っている父親が言った。
「パーマかけたんだ。カッコイイじゃん」
後日、B’zを知っている同期から言われた。
「似合ってるじゃん」
ーえ、B’zを知らない美容師でも、カッコイイ髪型に出来るんだー
そんな出来事があってから数日後、私はふと気づいた。
この美容師はB’zの話をせずに今まで生きてきた。ということは、彼の周りではB’zの話が出なかったことになる。専門学校でも、一度もB’zいいねとか、カッコイイねとかの話が出なかった、つまりB’zを知らない美容師は個人として存在している訳ではなく、集団で存在しているということ。そしてその事実を私は知らなかった。私はB’zを知らぬ人間が人の髪など切れるのかと馬鹿にした。
しかし、B’zを知らない美容師と、B’zを知らない美容師がいることを知らない私。ここに違いなどあるのだろうか。
もし私がB’zなら、B’zを知らない人にはB’zの魅力を伝えるのではないだろうか。B’zを広める努力をするのではないだろうか。それなのに私はB’zを知らない美容師を切り捨て、見下した。
本当に私はB’zを知っているのだろうか。
B’zを知っているくせにB’zを知らない人を馬鹿にする私は、むしろ彼らよりB’zを知らないのではないか。
B’zのカッコよさから何を学んだのだ。私は恥ずかしくなった。B’zを知らないこの美容師は、B’zという大通りを通らずとも、B’zを知っている我々を納得させるカッコよさにたどり着いた。彼の方が私よりよっぽどB’zじゃないか。
そして何よりも嫌なのが、私はそんなにB’zを知らないということだ。有名な曲は知っているが、ライブに行ったことは無いし、マイナーな曲なぞ全く知らない。ましてや、稲葉のルックスばかりに気を取られ、曲や歌詞を純粋に楽しめない、メマイ・・・
B’zに触れてしまった人間がカッコよくなるには、よりB’zを知るしかない。
もうB’zを知らなかったあの頃には戻れない。
私はあの美容師が羨ましく思えてきた。
私は、それから指名をするようになった。
そして、B’zと向き合うことをやめた。
私は、カッコ良い髪型を手にした。しかし、私はB’zを失った。私の中のB’zは、B’zを知らない美容師によって、負けたのだ。
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